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執筆者の写真Ricardo Tommy

社会性の二極化<絆といいね>

先進国の都市部の核家族化から家族崩壊、単身世帯の増加などと合わせてインターネット文化、SNS文化の普及に伴い、大きく個人と社会の関わり方の変化を問う言説は多い。

そんな現在の社会性は二極化してるように見える。

先の記事(「自我発達に対応する環世界の階層性」https://ricardophoton.wixsite.com/triadrone/post/自我発達に対応する環世界の階層性?lang=ja)でも触れた、環世界の内側から構造化されてくる内発的な社会性に気づきリアルな手の届く範囲の人間関係を重視する傾向と、社会の範囲を拡大していき、過去も素性も問わないテキストベースの仮想的コミュニティに身を委ねる傾向、の二極化だ。


手の届く範囲の人間関係を重視する傾向の前者の使う言葉は、身体性を伴い、持続的な奥行きに把持された過去が、自他間の「共感」のベースとなる。

テキストベースの仮想的コミュニティに身を委ねる傾向の後者は、過去も素性も問わないために、そこで使われる言葉には身体性が伴わず、自他間の共感性は「いいね」で稼ぐこととなる。


宮台真司氏の説く社会と尊厳(みんなと呼ばれる範囲としての社会と、自我確立に必要な尊厳を求める先としての社会)で言えば、人間関係を重視する前者は、尊厳を求める相手が、手の届く範囲の人間関係と明確だが、テキストベースの仮想的コミュニティをみんなと呼ぶ後者は、尊厳を求める相手の範囲が明確でなく、与えてくれる尊厳も身を伴わない。


自我発達には、尊厳という客体的な視線はとても重要で、自我の客体化の足場となる。自我の客体化の階層性が上がっていくことで、環世界からの内発的な社会構造も階層性を伴って現出し、それ自体を客観性に還元していくことで、外発的な(客観的な)世界観が構築されていく。

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