意識の志向性。
意識は何某かに対するもの、それがモノであれ記憶であれ、それに向かうものである。
意識は対象を伴って発生する。
環世界。
身体の構造と知覚器官の機能によって現れる主観的な世界像とそれに伴う生態行動。
主観。
一人称の視座を基点に環世界に向けられる意識。
意識。
客観的には身体から環境あるいは対象へ向けられる気づき。
こちら側(主観視座の基底)からあちら側(環世界が成り立つその奥)への流れ。
自我
意識の総体 × 客体化 × 自己規定 されたもの。
世界と身体の狭間に生まれて、狭間の関係性で育ったもの。
主観的意識を意識の志向性を踏まえると、環世界は意識を成り立たせる下部構造に相当すると捉えるとしよう。
また医学的には意識は知覚機能から神経系の働きの総体として現れるものであり、知覚器官から神経系までのすなわち身体も意識の構成要素であることを踏まえれば、身体も意識との関係性で見れば下部構造に相当すると捉えるとしよう。
その場合、関係性から言えば、表層意識に対して、環世界や身体は意識の潜在層と言えるのではないか。
環世界が身体構造や知覚器官の機能によるものなら、身体の変化は環世界の変化となって意識を支える。
身体の変化とは2つある。
ひとつは個体内の変化。発達や成長という変化。
もうひとつは、個体外の変化。進化や退化と呼ばれる個体を跨いだ系統的な変化。
個体内の変化は文字通り、一個体自体の変化で、成長や経験に伴って世界の見方、感じ方が変わる。
個体外の変化は、生物史的観点から、例えば生命の発生から人間に至る生物進化の過程など。
例えば生命発生から人間に至る各生物種毎の身体構造から想像される環世界を並べてみると、世界像自体が構造自体から発達、成長していくように思える。
客観的な解釈では生物生態の進化が意識の発達に供与したという解釈となる。
一方、世界の解釈を主観を起点とした場合、世界像が拡張、発達を成す系譜は、身体が環世界を、ではなく環世界の発達・進化が生態の進化を促した、とも取れるのではないだろうか。
環世界論的には、三次元空間のように捉えるように構成されている身体で経験することで世界像が三次元化し、時を感じるように構成されている身体が世界像に時空を生み出す。皮膚が面を嵩張りを感じ、脊椎を持った身体構造が空間に奥行きを見い出し、骨格を持った身体構造が物質の立体感を醸し出し、心臓が送り出す血液によって機能する各器官の働きにより時間を感じ、筋肉が動きを刻み、神経系はそれらを統括して意識の基盤を用意した。
ところが世界像の発達・進化が生態の進化を促したと見る場合は、面や嵩張りが皮膚を生み、空間の奥行きが脊椎を生み、立体化が骨格を生み、時間が心臓を生み、動きが筋肉を生み、意識が神経系を生んだ、と解釈できるのではないか。というかそう解釈したい。解釈できる可能性を見い出したい。
この解釈の場合、環世界(世界像)と身体構造は意識を挟んで反対の関係、相反の関係にあると言えるだろう。
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