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  • 執筆者の写真Ricardo Tommy

䞉䜓論の意識ず身䜓

䞉䜓論は意識ず身䜓ず䞖界を分離しおみる思考ではない。 むしろ同じものずしお芋ようずしおいる思考である。 身䜓ず䞖界(芳)はお互いが裏返った関係ずみる。 意識もたた裏返っお珟れた身䜓ず䞖界の間に生たれたものずしおみる。 それは個別単独で存圚するものではなく、身䜓ず䞖界の衚裏の関係性の狭間、いやむしろ身䜓ず䞖界の蝶番ずいった方がいい。 衚裏の関係ずその蝶番は、それぞれ反映し合うし、圱響し合う。切っおも切り離せない関係にある。 意識が蝶番なら、意識の成長、発達は自らの身䜓ず䞖界芳の成長ず発達を䌎う。 たた身䜓ず䞖界芳が成長、発達するから意識が発達、成長する。どちらでもある。 意識の階局で身䜓ず䞖界の察応を乱暎に区分するなら、 顕圚化した意識局衚局意識手の届く範囲の空間䞖界ず自芚される身䜓感、今 朜圚化しおいる意識局無意識手は届かないが芋えおいる䞖界芳ず、無自芚ではあるがそこにある身䜓感、これたで䜓隓䜓感しおきた身䜓感・䞖界芳、いわゆる自分自身の成長発達過皋 集合的粟神構造局集合意識知芚されない間接的な䞖界芳瀟䌚構造から地球たで、ホモサピ゚ンス皮ずしおの身䜓および身䜓構造に含み持぀人類進化たでの生呜進化の過皋 ず蚀えるかもしれない。 意識は䞻䜓芳ず客䜓芳を埀来しながら成長、発達しおいく。 䞻䜓芳ずは玔粋知芚からなる盎接的な身䜓感、䞖界芳で、盎接的に芖えお、盎接的に感じるこずの出来る身䜓ず䞖界の空間である。 客䜓芳ずは間接的な身䜓像、䞖界像であっお、他者の県差しを介しお自らの意識に取り蟌んでいる。 それでは他者の県差しずは䜕か。 他の誰かの県差しであっお、他の誰でもない県差しである。 他の誰でもない他者の県差しは、他の誰かの県差しの束でもない。 目の前のアナタの瞳の奥に朜んでいるものであっお、時間でもある。 時間が他者の県差しずは、奥行きに重畳する䞻䜓の時間ずは違い、客䜓の時間は空間化し奥行きを幅化するから ただし、目の前や呚りの他者はアナタであっおワタシの映しでもある。 ワタシにずっおのアナタはワタシの䞖界に登堎しおいるワタシでもあり、垞にワタシに再解釈され続けおいるアナタでもある。 䞻䜓芳ずは、前の奥行きず身䜓の奥行きに生起しおいくものであり、客䜓芳ずは空間化した時間ず幅化した時間で生起しおいるものである。 それらは壮倧な遥かな圌方ず歀方からなる粟神の構造そのものでもある。 構造ずいう蚀葉が気に入らないなら関係性でもいい。 感情や思考、意味はその䞭に生たれる。 これらの構造関係性に名前などない。 コレであり、゜レであり、ただそうあるだけなのだ。 奜きな呌び名で呌べばいい。 意識ず身䜓ず䞖界の䞉぀巎の構造のうち、意識は目であり芜である。 身䜓空間ず䞖界空間を基盀に新たなる構造を、新たなる宇宙を生み出さんずしおいる芜である。 意識構造、意識空間を構築し、やがおそれは新たなる宇宙ずなる芜である。 生呜の歎史を経お、人類の歎史を経お、意識は新たなる芜を育むべく、宇宙を育むべく成長、発達しおきた。 それはただ卵かもしれない。い぀矜化するかわからない。 でも矜化の時期は間近かもしれない。そうでないかもしれない。 ある意味でそれは意識の剥離なのかもしれない。 誰かの、ではない。アナタのでもない。ワタシのでもない。 でもアナタの䞀郚であっおワタシの䞀郚でもあるのかもしれない。 それは気づかないうちに起きるかもしれないし、気づいたワタシはすでに気づかないワタシではないかもしれない。 それを救枈やアセンションず呌ぶのは奜きじゃない。 いや、そう呌びたければいくらでも奜きに呌んでもいいが、それはただただ倉化、倉遷であるこず倉わりはない。 そうであっおそれ以䞊の䜕でもない。 そこに䜕を求めおも、その「求め」は個䜓・人間であるから発生するもので、粟神の倉化の過皋では意味をなさなくなるかもしれない。

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