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執筆者の写真Ricardo Tommy

ヒトはモノへ

人間の意識は、空間性を伴って世界を観測している。それが自己側と他者側の意識(この場合の意識とは自我意識ではなく、自我とそれで構成される世界をただ観ているだけの"目"、意識の"芽")が相補的に交合することで空間が時空となると共に、その構造性は素粒子構造として構成されていく。そうして構成される意識の構造が大きくなるほどに、それは素粒子が原子を構成するものとして顕れ、分子を構成し、巨大分子構造を構成し、核と膜を生成し、細胞が形成され、単細胞レベルの生命から多細胞の生命体、

そして更に様々な形態の生命体として顕れ、精神構造が人体として構造化された時、またそこには原初の世界を眼差す目(芽)が入る。(生命進化とは意識構造の階梯の射影であり、人間意識には時間展開される為に生命史として顕われて観える。)

精神が物および生命を構成することは同時に空間性も構成される。眼差した先の直接的な世界空間から、身近な間接的社会空間、地域レベルの社会空間、国レベルの社会空間、そして地球、地球と月と太陽、太陽系、銀河系、へと、その構造性は物質から生命形態への階梯を構成したのと同様に、大きな構造として顕れる。

人間の自我意識は、自己が他者に観られ、自己を他者にとっての他者と化していくことで、表象の世界の中に芽が根を張る様に、内在化していくことで形成されていく。自我意識は自己と他者の強い交差の上に成り立っているし、共に共鳴し内在化したその世界の中にその精神形態の基盤を構成している。

意識の構造の変容があるとするなら、表象の世界に強く内在化した反映としての外在世界を見い出していく意識の流動なのかもしれない。時間が消失し、三次元空間概念も消える世界に、人間型の意識はその形態を保てないだろうから、変容の流動は意識を二分する流れとして起きるだろう。

人間の意識自体が、ワタシの世界におけるワタシ、ワタシとアナタ、アナタの世界のアナタと、アナタのアナタのアナタ(ワタシにとっての他者の他者としてのワタシ)という強い交差の上に成り立っているため、意識の変容が起きるとするなら、局所的にではなく遍在的に、ワタシもアナタも共に変化するだろう。ワタシもアナタも共に、意識構造の変化が起きたとしても、大抵の人間意識のワタシやアナタには認識されないままに「ワタシ(アナタ)」と「ワタシ(アナタ)でない」へと分化していく。その分化が認識されないのは、そもそも「ワタシ」にとっては「ワタシでない」とは理解の下地を持たないものだから。ワタシは「ワタシ」の中に依然留まっているし、「ワタシでない」ワタシにはワタシたる意識は無いだろうから。

そうして分化していく「ワタシでない」ワタシは、空間とその反転構造として観察されることになる「物質」(空間)を構成することになり、「ワタシ」であるワタシは人間として存在し続けることになる。

意識は身体に芽吹き、世界を構成し、物質を宿し、物質が生命へと育まれるとそこにまた意識の芽が生まれる。意識と身体と空間の輪廻転生。

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