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  • 執筆者の写真Ricardo Tommy

NOOSWAVE Kohsenインタビュー「恋愛しよう!」

人間の一般的な発達では乳幼児期の純粋知覚の意識状態から、学童〜青年期にかけて覚えた既成概念や思い込みで没入感を味わうが、成年期以降は思い込みと現実を俯瞰する視点に立つ。


一方で、理性主義者も、オタクも、陰謀論者も、こだわりの概念で現実を上書きしようとする。

理性主義者は人間は理性的であるべきと思い込みそういう尺度で社会をはかり、理知的であろうとして感情や欲情を抑えてしまう。

オタクはコスプレやオタク口語でイメージの世界で現実を上書きしようとし、二次元キャラに一意性を求めるがゆえに多面的な人間性と対峙しにくくなる。

陰謀論者は陰謀にそぐう事実を探して並べて被害を被っているように振る舞い現実を陰謀論に合うように生き、多様な意見を聞くことができなくなる。


恋愛においては、理性が発達したところに性徴期の強烈な性ホルモンに振り回されながら自己の欲情と対峙すること、かつ他者と向き合うこと、他者の意向を汲もうと必死で考えること、そして自分の理性がありながら欲情を認めること、それらに折り合いをつけることを同時に行う。

さらに身体を重ね、交わることで恍惚を体験をしたり、その後の関係では絶望を味わうこともある。

これらの、主体的思考と客体的思考、主体的感性と客体的感性、それぞれが繰り返され交差する体験。さらには由来もわからないままにもたらされる天啓的な体験。これらの体験、経験が自己の意識の客体化をうながし、バランスのとれた自我発達となる。


これらの体験、経験を避けたり蓋をしたり、理性で上書きしたりイメージの世界で上塗りしたりしてしまうと、感性の発達が阻害され、主観的な思考のみが成長してしまい、自我発達のバランスが崩れてしまう。


主観的な思考のみのが発達と書いたが、現実を上書きする思い込み自体が他者由来であり、他者軸にそった主観思考となるため、主体軸を見失う、あるいは見失っていることに気づけない危険も孕んでしまう。


これらの状態であっても、自己や他者、そして自分の内面に強制的に対峙させられ、他者の内面を志向することになるのが恋愛体験なので「恋愛しよう!」なのだろうと思う。


無理に恋愛をすることはないだろうが、「自分には不要/むずかしい」と感じているひとこそ、恋愛以前に、他者とのコミュニケーション自体が足りていない可能性がある。同性、同意見の知人友人に偏っていないか、自分の人間関係を見直すことは自己の環世界の状態のチェックともなる。自己の環世界における他者として登場する登場人物の様相は、自我状態の射影でもあり、三体で環世界が自我意識の半身だとする所以でもある。

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