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執筆者の写真Ricardo Tommy

第6回東京ヌース倶楽部 概要(テキスト版)

(以下は先日行われた第6回東京ヌース倶楽部の概要をテキスト化したものですが、実態とは若干違いがあります。記憶を辿って書き起こしたので、違いはご容赦ください。)



 皆さん、お久しぶりです。

 実に半年振りの開催となってしまいました。

 3月に震災もあったので、皆さんご自身の生活面でも大変だったと思いますが、一方でヌースについては皆さんいかがでしたか?

 私もですが、皆さんもご無沙汰と思いますので、今回はあるビデオを観ていただき、ちょっと私から解説も加えて、皆さんで意見交換もして、ヌースな感覚を取り戻してみましょう。。


 今回観ていただくビデオは、イギリスの神秘主義者で哲学者であったダグラス・ハーディングさんが考案した、内的な視座に気づくための実験技法です。

 この気づきで得られる視点がまたヌースとかなり近いものがありますが、まずは一通り、約1時間ほどの動画を通して観ていただきます。

 その上でまた解説しながらお話していきましょう。


 動画は8つに分かれていますが、続けて再生しますね。

 それでは、どうぞ。


1A 私たちの本質とは何か?.mov


1B 私たちの本質とは何か?.mov


2A 私たちの本質とは何か?.mov


2B 私たちの本質とは何か?.mov


3A 私たちの本質とは何か?.mov


3B 私たちの本質とは何か?.mov


4A 私たちの本質とは何か?.mov


4B 私たちの本質とは何か?.mov


 以上で動画は終了です。

 みなさん、いかがでしたか?


 動画中の解説はリチャード・ラング氏が行っていますが、指さし確認の、指が自分を向いた際の意味合いは理解できたでしょうか?

 これは指の向く方向を意味しているのではなく、実験者自身の視線の向いた先を指しているので、指が自分を指したときは、自分自身が視ているものが何か?ということになります。

ということは、指が自分を向いたときに意味しているのは、「あなたは今何が見えていますか?」となります。


 もうお気づきかと思いますが、これがヌーソロジーでいう知覚正面、主観的視座、ψ3の外面です。

同様に双方向の指さしで判るのは、ψ3とψ4の両方向、主観的視座と客観的視座、内面と外面、という事になります。


 また、それらの視座において認識される私的アイデンティティと公的アイデンティティという表現が出てきましたが、これらも主観的な自己と客観的な自己、ということになります。


 さて、ここからヌーソロジーへと繋げていくわけですが、この様な視点、視座で世界を視ることと、ヌーソロジーの言う精神が物質であり世界であること、とはどういうことなのでしょうか?


 みなさん、ヌーソロジーにおいて、三次元空間をリーマン球のモデルになぞらえた、ψ3とψ4のリーマン球的モデルの図をみたことはありますよね。


 まず、三次元空間を平面という二次元に落として表現します。これを三次元平面と呼びます。

 この三次元平面の中は三次元空間です。


 さて、ワタシが今目の前に観ている物体の中心点を点Oとします。

 この点Oを接点として、この平面を球体状に上方向に丸めます。すると球体が出来ますね。この球体は先ほどの三次元平面を丸めただけですので、この球体の表面、球面上は三次元空間となっています。 三次元球面です。

 これらの図はあくまで関係性だけを表現していますので、具体的にこういう構造が宇宙の中にあるわけではありません。


 さて、先ほどの任意の物体の中心点Oを観るワタシの位置を点Pとしましょう。

 ワタシが点Oから離れることは、あるいはワタシPから点Oが離れていくこと(相対的には同じこと)は、三次元平面上では点Pが点Oから離れていく様に表現されます。

同様に、球体上の三次元球面上では、最下部の点Oから点Pが球面上をなぞって上昇していく様に表現されます。


 ここまではいいですか?


 さて、先ほどもビデオにありましたように、私的アイデンティティにおけるこの視野上では奥行きは一点同一視されます。どんなに遠い位置も、ワタシの視野上の一点と重なって同じ点として見えてしまうわけです。

 これを先ほどの図で表すとどうなるでしょうか?

 三次元平面上では、点Oから離れるほどに二点間の距離が離れていきます。この二点間を結ぶ線が点に見える表現をしたいですね。

 そこで先ほどの三次元球面上ではどうでしょうか?

点Oと点Pを結ぶ線が一点に見える位置、それは三次元球面上の頂点、三次元空間では無限遠点とされる位置、ならその視線が球体の軸として立てば、点Pから点Oに向かう視線軸は一点同一視できますね。

 もうお気づきかと思いますが、三次元球面を貫く視線軸は、おそらく四次元の線です。よって、私たちが三次元空間上で、視野上の一点と遙か彼方の一点を同一視している視点は、三次元空間に対して四次元に立っている位置、ということになります。

 さらに、任意の一点Oは、遙か彼方の点に限らず、どの位置の点でも構わないわけで、私たちの視野上では任意の点Oと視野上の点Pは一点同一視されますので、ワタシは常に無限遠点に立っていることになります。

 そしてこの三次元球面、四次元球体の直径は、一点同一視したときほどの厚み、私たちの意識上では厚みが分からないほどの厚み、極微小にまでに縮められていると考えることが出来ます。

三次元平面上に張り付いている極微小の四次元球体、というイメージです。


 さて一方では、私たちはこの三次元空間内では無限の奥行きや広がりをも感覚しているわけです。

ヌーソロジーでは、こちらの空間概念を他者からの視線方向が作り出す客観的空間、ψ4の空間としています。

 先ほどのビデオでの、ワタシの視線方向とは反対方向の視線で観る空間ですね。

 モノと自己を隔てている距離感、また背後に広がる無限空間です。私たちは、この無限空間を自己の前側にも適用して、主観的視座を潜在化させてしまった上で、世界は無限に広がる空間だ、とか言っている、という訳です。

 では、この空間概念を図として現すとすると、どうなるでしょうか?


 無限遠は点では閉じず、開放系となっていますので、放物線を軸を中心に回転させた、いわばお椀を逆さにしたような図が、例の三次元平面の下に張り付いているイメージとなります。

 この図であれば、三次元平面との接点Oから自己Pは離れるほどに、曲面を下っていく様に表現されますが、開放系の曲面なので、点Oから離れれば離れるほど、点Pは単純に遠ざかる、まさに私たちがこの宇宙空間の中で感じている空間感覚となります。私たちはこのお椀型の曲面上の点Oー点P間の最長距離が137億光年だと言っているわけです。

 そしてこの曲面上では、四次元の位置に立つことは出来ず、よって無限遠点から点Oに向かった四次元軸を立てることは出来ないわけです。

 視野上で、無限遠の位置を遙か彼方として感じている感覚のことですね。


さて、これら三次元平面の両面に接する球面体と曲面体は、軸を中心に回転しています。

私たちの視野上でも、一点同一視している視線軸を中心に世界は回転的に広がっており、よって前述の球面体と曲面体は軸を中心に常に回転しているという言い方も出来ます。


 詳しい解説は、私も得意ではないので割愛しますが(苦笑)、この様に二つの接する回転(スピン)を持つ四次元体の構造が素粒子の構造に似ている、とヌーソロジーでは言っています。

 またこの意識(無意識層も含めたもっと大きな構造体としては精神)が織りなす構造はさらに多層的であり、それらの構造により素粒子からこの物理世界の全てを創りあげているのではないか、としています。


 このヌーソロジーの主張は、過去からの神秘思想や宗教、哲学や現代のスピリチュアリズムが「世界はワタシ、ワタシは世界である」と説いてきたものを、具体的に示すものとなります。

 そして解脱や覚醒無しでも、その構造感を理解出来る、ということでもあります。


 今お話した外面、内面の関係性や、主観的、客観的視座といった構造は、ヌーソロジーの観察子という構造体系の基礎にあたる関係性です。

 そしてヌーソロジーでは、次元観察子、大系観察子、脈性観察子といった観察子体系をもって精神=世界の構造を説明していきます。

 そしてこれらの体系が、自己側と他者側に存在して、反対側へと「裏支え」ていたり、「凝縮化」していたりと相互に入れ子の様な、多重で複雑化したルビンの壷の様な、構造感をもって展開されていきます。


 さすがに、この複雑に入り組んだ状態で構造を理解をするのは非常に難しいので、通常は自己側からのみの解説が主ですが、これほどまでの構造感をもって、私たちの目前に広がる広大な大自然、大宇宙を構成していると考えれば、ヌーソロジーは構造主義的で冷たいとする意見もそんなことはないだろうと考えることもできます。

 私自身は、ヌーソロジーは非常に壮大で豊かなものを内包している思想だと、個人的には思っています。


 以上、ハーディングのビデオからヌーソロジーの超概説へときました。

 駆け足の解説になってしまいましたが、前回から半年空いてるので、リハビリにはちょうど良いかな?と思いましたがみなさん、いかがでしたか?

みなさんはどのように感じましたか?


関連リンク:

ダグラス・ハーディングの「頭のない方法」

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